「働き方改革」という言葉を聞くと、残業時間を減らすことや、有給休暇を取りやすくすることを思い浮かべる経営者の方が多いのではないでしょうか。
もちろん、それも重要です。
しかし、中小企業の経営という視点から見ると、もう一つ注意していただきたいことがあります。
労務管理の問題は、労務だけでは終わらないということです。
たとえば残業代の計算を間違えていた場合、問題になるのは未払残業代だけではありません。給与としての源泉所得税、年末調整、社会保険、場合によっては過年度の会計・税務処理まで確認し直すことになります。
また、「業務委託だから従業員ではない」と考えていた人が、実態としては労働者と判断されれば、労働法だけでなく、給与課税、源泉徴収、社会保険、さらに消費税の仕入税額控除まで影響する可能性があります。
最初に結論――労務リスクは「経営リスク」として確認する
経営者が最低限確認しておきたいのは、次の5点です。
- 実際の労働時間を正しく把握できているか
- 36協定と実際の残業時間が一致しているか
- 固定残業代の設計と追加精算が正しいか
- 「管理職」「業務委託」という名称だけで判断していないか
- 給与、源泉所得税、社会保険、消費税まで一体として処理しているか
私は、働き方改革への対応を単なる「コンプライアンス対策」と考えるべきではないと思っています。
人件費が将来どれだけ発生するのかを正しく把握し、突然大きな未払債務が発生しない会社をつくることも、経営管理の重要な目的です。
1.残業には法律上の上限がある
労働基準法では、原則として1日8時間、1週40時間が法定労働時間です。
これを超えて労働してもらう場合には、いわゆる「36協定」を締結し、労働基準監督署へ届け出る必要があります。
時間外労働の上限は原則として月45時間・年360時間です。
臨時的な特別の事情があり、特別条項付き36協定を締結している場合でも、原則として年720時間以内、時間外労働と休日労働を合わせて月100時間未満、複数月平均80時間以内などの上限があります。
つまり、「残業代さえ払えば何時間働いてもらってもよい」という制度ではありません。
割増賃金にも注意
法定時間外労働については通常25%以上、法定休日労働については35%以上、深夜労働については25%以上の割増賃金が必要です。
さらに現在では、中小企業も含め、1か月60時間を超える時間外労働については50%以上の割増率が適用されています。
2.「管理職だから残業代はいらない」は危険
実務で非常によくある誤解が、
「部長にしたから残業代は払わなくてもよい」
という考え方です。
労働基準法上、労働時間や休日などの規制の適用が除外されるのは、単なる社内の「管理職」ではなく、「管理監督者」に該当する人です。
管理監督者に当たるかどうかは肩書ではなく、実態で判断されます。
- 経営上の重要な意思決定に関与しているか
- 部下に対する相応の人事・労務管理権限があるか
- 出退勤や勤務時間について相当程度の裁量があるか
- その地位にふさわしい待遇を受けているか
こうした事情を総合的に判断します。
「課長」「店長」「部長」と呼んでいるだけでは、管理監督者になるわけではありません。
なお、管理監督者であっても深夜割増賃金の問題などは別に考える必要があります。
3.固定残業代を払えば、追加の残業代は不要?
これも非常によくある誤解です。
固定残業代制度そのものが直ちに問題になるわけではありません。
しかし、厚生労働省は固定残業代について、少なくとも次の内容を明確にすることを求めています。
- 固定残業代を除いた基本給
- 固定残業代が何時間分で、いくらなのか
- その時間を超えて残業した場合には追加の割増賃金を支給すること
たとえば、
「月給30万円(残業代含む)」
とだけ記載しているケースでは、何円が通常の給与で、何円が残業代なのかが分かりません。
また、「20時間分の固定残業代を支給しているから、30時間働いても追加支給しない」という処理もできません。
固定残業代は「残業代を支払わなくてよい制度」ではなく、「一定額をあらかじめ支払う制度」です。
4.未払残業代が見つかると、税務処理にも影響する
ここからが、税理士として特にお伝えしたい部分です。
仮に調査の結果、過去3年間について残業代の不足が判明し、それを一括して従業員へ支払うことになったとします。
国税庁は、本来それぞれの支給日に払うべき残業手当を後から一括支給した場合、原則として、本来支給すべきであった各年分の給与所得として取り扱うとしています。
したがって、「今年まとめて払ったから、全部今年の給与にして終わり」とは限りません。
対象となる年ごとに、給与、源泉所得税、源泉徴収票などの処理を確認する必要が生じることがあります。
法人税についても、どの事業年度で債務が成立し、金額を合理的に算定できたのかなどを踏まえ、損金算入時期を検討する必要があります。
つまり、労務上の一つの計算ミスが、複数年度の税務処理に波及することがあります。
5.「業務委託契約を結んでいるから大丈夫」とは限らない
最近は、正社員だけでなく、フリーランス、副業人材、業務委託契約など、多様な働き方を利用する企業が増えています。
ここで重要なのは、契約書のタイトルだけで雇用か業務委託かが決まるわけではないという点です。
厚生労働省は、労働基準法上の「労働者」に該当するかについて、指揮監督下で労働しているか、報酬がその労働の対価となっているかなど、「使用従属性」を中心に実態から総合的に判断するとしています。
たとえば、形式上は「業務委託契約」であっても、
- 会社が勤務時間を指定している
- 働く場所も会社が指定している
- 仕事を断る自由がほとんどない
- 仕事内容について細かな指揮命令を受けている
- 本人以外が仕事を代替することができない
- 報酬が時間給・月給に近い
といった事情が重なると、実態として労働者ではないかという問題が生じます。
6.業務委託が給与と判断されると「消費税」にも影響する
この問題は、税務上も重要です。
通常の外注費など、事業者から受ける役務提供の対価は、一定の要件のもとで消費税の課税仕入れになります。
一方、従業員に支払う給与は消費税の課税仕入れにはなりません。
したがって、本来給与として処理すべきものを外注費として処理し、その消費税について仕入税額控除を行っていた場合には、消費税の処理まで見直しが必要になる可能性があります。
さらに給与であれば、源泉所得税や社会保険についても検討が必要になります。
「外注費か給与か」は、勘定科目だけの問題ではありません。
7.社会保険の適用範囲も広がっている
働き方改革を考える際には、社会保険も無視できません。
短時間労働者への健康保険・厚生年金保険の適用は段階的に拡大されています。
2026年8月現在、一定の短時間労働者については、厚生年金保険の被保険者数51人以上の企業等が企業規模要件となっています。
さらに制度改正により、2026年10月からは短時間労働者に関する月額8.8万円以上という賃金要件が撤廃される予定です。
企業規模要件についても、2027年10月から36人以上、2029年10月から21人以上、2032年10月から11人以上へと段階的に拡大されます。
これは単なる事務手続の問題ではありません。
社会保険の対象者が増えれば、会社負担の社会保険料も増えます。
したがって、採用計画、人員配置、給与水準、パート社員の勤務時間を考えるときには、将来の社会保険料まで含めた人件費を予測する必要があります。
8.簡単な例――月20時間の未払残業でも年間では大きくなる
たとえば、割増賃金計算の基礎となる1時間当たり賃金を2,000円とします。
毎月20時間の時間外労働について残業代が不足していた場合、25%の割増率だけを前提とした単純計算でも、
2,000円 × 1.25 × 20時間 = 月50,000円
です。
1年間なら60万円。
対象となる従業員が5人なら300万円です。
さらに複数年度にわたれば金額は大きくなります。
実際には、時間帯、休日労働、月60時間超、給与体系などによって計算は変わりますし、事案によっては他の金銭負担も検討しなければなりません。
経営者からすると、問題が発覚した時点で突然数百万円、数千万円という支出になることがあります。
だからこそ、「問題が起きてから計算する」のではなく、日頃から確認することが重要なのです。
9.経営者が確認したいチェックポイント
- □ 労働条件通知書を最新の状態にしている
- □ 就業規則と実際の働き方が一致している
- □ 36協定を毎年確認している
- □ タイムカード等で実労働時間を把握している
- □ 固定残業代の時間数・金額を明示している
- □ 固定残業時間を超えた分を追加精算している
- □ 「管理職」という肩書だけで残業代を除外していない
- □ 業務委託者への指示方法が実質的な雇用になっていないか確認している
- □ 外注費と給与の税務上の区分を確認している
- □ パート・短時間労働者の社会保険加入要件を確認している
- □ 人件費を給与だけでなく社会保険料まで含めて予算化している
税理士として考える「働き方改革」
働き方改革というと、どうしても「従業員を守るための規制」と「経営者の負担」という対立で語られがちです。
私は、それだけではないと考えています。
労働時間を正しく把握することは、本当の人件費を把握することでもあります。
誰か一人の長時間労働によって成り立っている業務があれば、その会社の利益は、本当の意味での利益ではないかもしれません。
逆に、業務を標準化し、適正な労働時間で利益が出る会社にすることができれば、人材採用や事業承継もしやすくなります。
つまり、労務管理は「守り」の仕事であると同時に、会社の収益構造を確認するための経営管理でもあります。
厚生労働省も2026年8月、36協定や柔軟な労働時間制度についての相談・支援を充実させる一方、重大・悪質な事案には引き続き厳正に対応する方向を示しています。
「働き方改革=規制への対応」ではなく、自社に合った働き方と収益構造をつくる機会として考えてはいかがでしょうか。
まとめ――まずは給与計算より「働き方の実態」を確認する
労務リスクを確認するとき、最初から難しい法律を読む必要はありません。
まず確認していただきたいのは、
- 誰が
- どのような契約で
- 何時から何時まで
- 誰の指示を受けて
- どのような報酬で
- どのように働いているのか
という実態です。
そこが整理できれば、労働時間、残業代、社会保険、源泉所得税、消費税の処理も整理しやすくなります。
反対に、契約書や給与明細だけ整えていても、実際の働き方と違っていれば問題は残ります。
未払残業代や社会保険の問題は、長期間放置するほど影響額が大きくなる傾向があります。
「うちの会社は大丈夫だろうか」と感じたときには、給与台帳、勤怠記録、雇用契約書、業務委託契約書などを一度まとめて確認することをおすすめします。
労務上の専門的判断については社会保険労務士等との連携が必要ですが、給与、源泉所得税、法人税、消費税、資金繰りまで含めた影響については、税理士とあわせて確認することで全体像が見えやすくなります。
藁総合会計事務所では、中小企業の税務・会計だけでなく、給与や社会保険料を含めた人件費と経営数値との関係についても確認しています。
東京・品川区で、働き方の見直しに伴う税務・会計処理や人件費についてお悩みの経営者の方は、お気軽にご相談ください。
参考資料
- 厚生労働省「時間外労働の上限規制」
- 厚生労働省「労働者とは」
- 厚生労働省「固定残業代を支払う場合の注意点」
- 厚生労働省「管理監督者」
- 日本年金機構「短時間労働者に対する健康保険・厚生年金保険の適用拡大」
- 国税庁「給与所得の収入金額の収入すべき時期」
- 国税庁「仕入税額控除の対象となるもの」
※本記事は2026年8月28日現在の法令・公表資料をもとに一般的な制度を解説したものです。個別の労働条件、給与体系、契約内容等によって取扱いが異なるため、具体的な判断については専門家へご相談ください。