税務調査のデジタル化が進んでいます。国税庁は、会社を訪問する前に会計データの提出を求め、税務署側で分析する取組を進めています。調査の効率化や納税者の負担軽減が、その目的として説明されています。[1]
デジタル技術の活用自体に反対するものではありません。しかし、税務当局が技術的にできるようになったことと、納税者にどこまで求めてよいかは、分けて考えなければなりません。
会計データの事前提出を税務調査の標準的な仕組みとして進めるのであれば、その権限と限界、納税者の権利を公開の場で議論し、基本的なルールを法律で定めるべきだと考えます。
「お願い」と「罰則」の間にある問題
国税庁の令和8年10月のQ&Aは、実地調査前のデータ提出要求を質問検査権の行使と位置付けています。理解・協力と承諾を前提とする一方、正当な理由なく応じない場合には、罰則の対象となり得るとも説明しています。[2・問2、5、6]
こうした説明を受けた経営者が、どこまで自由に相談し、異議を述べられると感じるでしょうか。対象期間を絞りたい、形式を変えてほしい、準備に時間が必要だと伝えることまで、不協力と受け取られないか。不安を抱くのは自然なことです。
罰則につながり得る義務を説明するのであれば、求める側の権限だけでなく、求められる側が確認・協議できる事項や、要求を争う方法も明確にする必要があります。
会社に来なければ、事前通知の保障はどうなるのか
今回のQ&Aでは、原則として事前通知後にデータ提出を求めるとしながら、訪問日程の調整に時間がかかる場合などは、事前通知に先立つ依頼も想定しています。その行為は「実地の調査」以外の質問検査等であるという整理です。[2・問2]
ここには、デジタル化によって見直すべき制度上の問題があります。会社に訪問するかどうかにかかわらず、会計データが渡れば、当局はその内容を検討できます。納税者にとっては、すでに調査への対応が始まっています。
それにもかかわらず、職員がその場所に来ていないという区分を、どこまで手続保障の違いにつなげてよいのでしょうか。現行法の解釈としてどう整理できるかに加えて、その区分が現在の調査実態にふさわしいかを議論する必要があります。
Q&Aは、法律上の義務を新たにつくるものではない
行政が法令の解釈を公表し、実務上の疑問に答えることには意味があります。しかし、Q&Aそのものが、新たな提出義務や罰則を創設する根拠になるわけではありません。
今回の説明が従来の解釈を変更したものなのか、既存の取扱いを明らかにしたものなのかは、過去の運用との照合が必要です。Q&Aという形式だけを理由に、直ちに違法であると断定することも適切ではありません。
ただ、法令解釈の説明という形であっても、実務上、広範なデータの事前提出が標準となれば、納税者の対応は大きく変わります。現行法の範囲内と説明できることと、その運用を広げる手続が十分であることは、別の問題です。
パブリックコメントの趣旨を、形式の問題にしてはいけない
行政手続法は、命令等を定める際、原則として事前に案を公表し、意見を募る仕組みを設けています。対象には政省令だけでなく、審査基準、処分基準、行政指導指針なども含まれます。通達についても、その内容によって意見公募の対象となります。もっとも、すべての通達改正が例外なく対象になるわけではありません。[3]
国税庁の法令解釈通達について、実際に意見公募が行われ、提出意見を踏まえて案が修正された例もあります。[4]意見を募ることは、形式を整えるためだけの手続ではありません。行政だけでは把握しきれない負担や問題点を、納税者や実務家の声によって確かめる機会です。
今回のQ&Aが法定の意見公募対象に当たるかどうかとは別に、納税者の権利・負担に大きく関わる運用については、案の段階から広く意見を求めるべきだと思います。「解説だから」という形式だけで、制度としての議論が後回しになってはなりません。
必要なのは、取得から消去までを見通したルール
会計データは、単に画面上で読む帳簿ではありません。多数の取引を検索し、集計し、他の情報と照合できる資料です。一括して渡すことによる影響は、その会社への訪問調査だけにとどまらない可能性があります。
国税庁は、取得情報を他事案の税務調査や行政指導に活用する場合があると説明しています。[2・問12]守秘義務やセキュリティ対策は当然必要ですが、それだけで、利用の範囲や保存の必要性に関する問題が解決するわけではありません。
基本的なルールとして、少なくとも次の点を明確にするべきです。
- 提出要求の要件と範囲――事前提出が必要となる場合、対象期間、情報の範囲、電子形式を求める条件。
- 要求時の手続――根拠・目的・対象を記載した通知、税理士の関与、準備期間、形式や期限の協議。
- 納税者の権利――過大な要求を争う方法、代替手段の扱い、不提出に対する制裁の要件。
- 取得後の取扱い――保存の必要性、他事案への利用条件、アクセス記録、不要データの消去とその検証。
これらの重要事項は法律で定め、細かな技術仕様は法律の委任に基づいて整える。その際にも、必要な意見公募と説明を行う。技術の変化に対応しながら、行政の判断だけで権限や負担が広がらない仕組みが必要です。
海外で活用されているからこそ、権限の限界も参考にする
海外では、電子会計データの取得・分析が実際に利用されています。フランスの2017年公表の235社への調査では、税務調査での会計仕訳ファイルの要求率97%、利用率75%という結果が報告されています。古く、大企業が多い標本ですが、実務への定着を示す資料です。[5]
同時にフランスには、提出されたファイルのコピーの消去を法律で定める仕組みがあります。2024年のナント行政控訴院判決は、その規定が、当該データに基づく後日の課税から納税者を守る趣旨を持つことを示しました。[6]
海外の制度をそのまま日本へ移すべきだということではありません。また、消去規定があることだけで、運用が完全に守られているともいえません。それでも、データを取得する権限と、その利用・保存を制限する仕組みを一緒に考える姿勢は、参考にすべきです。
効率化への信頼は、公開の議論から生まれる
税務当局の分析が速くなれば、納税者の負担も減る可能性があります。しかし、訪問時間が短くなった分、データの抽出・確認や事前のやり取りが増えることも考えられます。効率化の成果は、徴税側の数字だけでなく、納税者と税理士の総作業時間や費用を含めて検証するべきです。
デジタル化を進めるためにこそ、権限と責任を明確にしなければなりません。「従来の質問検査権でできる」という行政の説明だけに、制度の重要な境界を委ねるべきではありません。
会計データの事前提出と、その保存・再利用を伴う税務調査については、納税者、税理士、専門家の意見を公開の場で聞き、国会で議論したうえで、権限と権利保障を一体として法律に位置付けるべきです。
行政の利便性を、納税者の義務へと直結させないこと。これが、税務調査のデジタル化を進める際に守るべき原則だと考えます。